駒込名主屋敷の歴史

■駒込名主屋敷の歴史
  名主高木家の祖先は、将監といい、元和元年(1615)大阪落城後、豊臣方の残党として
関西から当地に亡命し、当時伝通院領であった駒込一帯の開拓を許されて、そのまま土着
したと伝えられるが、記録類が戦災等で失われて詳細は不明である。
  将監に三子あり、その長子が相続して初代嘉平治となり、代々襲名とともに家産を受け
継ぎ、農産の傍ら、上駒込村(現・文京区駒込地区の北半)の名主役を勤め、現当主の高
木嘉久氏はその十五代目にあたる。    
 新篇武蔵風土記稿巻十九豊島郡の十一駒込村の条に、「旧家者五平治」として「先祖ヲ高
木将監ト云。慶長ノ頃村ヲ開キテ此所ニ世々住ス。将監寛文十二年(1672)十月二十八日死
ス」とある。
  同家東隣の天祖神社(古く神明社と称す)の地は、前記新篇武蔵風土記稿の記事によれ
ば、もと高木将監の林園といい、境内には慶安元年(1648)の庚申□石碑を存し、次の刻文
がある。
      為庚申□意趣者二世安楽也
      慶安元年九月吉旦  内海佐右衛門   高木勘三郎
                    内海左近丞    高木将監尉
                    沼野次右衛門   内海五郎兵衛
                    内海権右衛門   伊藤宗兵衛

■建築年代
 主屋は宝永年間(1704〜1711)の創建という伝えもあり、それがほどなく火災で焼失。享
保2年(1717)に再建したと伝えるが確証はなく、さらなる調査研究が待たれる。

■用 途  名主屋敷(住宅+役所)

■文化財指定
  昭和27年 11月3日に東京都史跡に指定され、文化財保護条例の改正により、昭和30年
3月28日に都旧跡に編入されたが、その後に定められた東京都文化財指定基準によれば、
都史跡の部第二号(役所跡等で全体の遺構と認められるもの)に該当するので、昭和39年
4月28日「東京都史跡」に変更された。

■指定範囲  1552.56u (この範囲のなかには、大正末期〜昭和初期の洋館が一棟ある)

■建築の概略
   表門=薬医門、切妻造、桟瓦葺
   主屋=(建坪227.11u)二階建、桟瓦葺、離れ二棟付属
   土蔵=(建坪46.81u、蔵前四畳を含む)二階建
   ○主屋は大正14年3月に補修、主屋・表門とも屋根が瓦葺となり、主屋に離れが増築さ
     れ、主屋の内部も通用玄関の土間の半分が三畳の玄関の間になるなど徐々に改変
     されてきたが、なお、全体としては旧状を保っている。



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