旧東方文化学院
<現・拓殖大学国際教育会館>

  旧東方文化学院は、1900年に清国で起こった義和団事件の賠償金で建てられたもので
す。当初、北京に人文科学研究所、上海に自然科学研究所を設立し、両国の共同研究の場と
しましたが、済南事件が勃発して清国側委員が引き上げたため、日本国内に二つの研究所を
作りました。この建物が東京研究所。京都研究所は、武田五一と東畑謙三の設計で建てら
れ、現在も京都大学人文科学研究所として使われています。
  東京研究所は、のち東大東洋文化研究所に吸収され、戦後、外務省研修所と同居してい
ましたが、研究所が東大に移ると外務省研修所が単独で使いました。
  省庁の地方移転政策により、外務省研修所は平成7年に神奈川県相模原市に移転。その
後は、一般競争入札で売却される予定でしたが、保存運動の結果、保存を条件に拓殖大学に
売却されました。拓殖大学では留学生の日本語研修施設として活用するため、空調設備等の
修理を行い、2003年4月から校舎として使われています。


門扉の透かし飾り(デザイン内田祥三)


本館正面の7連アーチ

  
    重厚な門                            正面から見た門

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