◆旧壱岐坂(大横丁)=本郷通りから白山通りにくだる道だが、途中新壱岐坂で分断されている。大横丁と呼ばれる
商店街には加藤薬局はじめ、古い看板建築群がある。
加藤薬局 大横丁商店街
◆十河信二邸跡=新幹線の生みの親十河信二の自宅跡。戦後、進駐軍に接収され、返還後は国鉄の保養所とし
てつかわれたが、数年前に取り壊された。十河邸のステンドグラス等は、特別養護老人ホーム「千駄木の郷」で再 利用されている。
◆日本基督教弓町本郷教会=中村鎮の設計で、大正15年に建てられた。コンクリートブロック造、ステンドグラスが
美しい。
◆教会の南隣にある瀬川ビルの奥には、初代東大工学部長古市公威邸がある。明治20年に建てられた珠玉の近
代和風建築。見事な苔庭や茶室と相まって都心とは思えない豊かな静寂の空間がある。非公開。
◆樹齢600年を超える楠の巨木。以前、ここには楠亭という洋館つき近代和風住宅を利用したフランス料理のレスト
ランがあった。
◆旧弓町から春日通りを超えると、文京ふるさと歴史館がある。その北隣にあるのが、諸井恒平邸。渋沢栄一と
同郷で、日本煉瓦製造株式会社重役、秩父セメント創業者。大きな和風住宅は明治39年ごろ建てられ、床下には湿 気を防ぐために煉瓦が敷き詰められているという。
◆足軽長屋=ふるさと歴史館から春日交差点方面に向かう崖の上にある。
◆一葉の井戸=明治23年秋から26年夏頃まで住んで、ここにあった井戸を使ったといわれる。この路地から菊坂に
ある伊勢屋質店に、よく通ったそうだ。
一葉の住んだ路地の階段 一葉の井戸 菊坂に面した旧伊勢屋質店
◆菊坂の南の台地は右京山といわれ、そこから白山通りに向かって急な崖地になっている。この右京山には、関東
大震災後単身者向けアパート「清和寮(取り壊し)がたてられ、周囲にはマンサード屋根の中流以上向け住宅などが 建てられ、中央には公園が配置された。マンサード屋根の住宅は、急速に姿を消したが、2棟が往時の姿で住み 継がれている。
右京山の震災復興住宅・山口家 右京山の震災復興住宅・境家
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