足軽長屋

  春日通りと白山通りが交差する春日交差点の東北側一帯約20,000坪(本郷3丁目に向かう
真砂坂の左手)は、幕末の頃、高崎藩主松平右京亮の中屋敷だったところ。この敷地の南端
には昭和40年代まで足軽長屋と通称される建物が見事に軒を連ねていました。それが、少し
ずつ姿を消して、平成14年秋現在、この写真の建物のみとなった。
 この建物の所有者の父上は、本郷元町に住んでいましたが、関東大震災でも建物が残った
のは、よほど地盤がいいのだろうと、ここを購入したとのことでした。
  関東大震災、戦災を免れて幕末の建物が残っているのは大都会の奇跡といえましょう。
   <残念ながら2005年5月に解体されました。>

       <調査報告書が刊行されましたが、売り切れ、絶版です>


もともとは反対側に玄関があったが、
背後に家が建って道が付け替えられた為、玄関の位置がかわった。


旧真砂町足軽長屋                   撮影=山高 登 昭和43年2月撮影
         ◆よく似た下級武士の長屋は、長野県須坂市にもある。


明治16年の参謀本部の地図を見ると中央下の方に何棟もの長屋があったことが分かる。
さらに右手には警視庁黴毒病院の長方形の敷地があった。
地図の右下鍵の手になっているあたりが現在の本郷3丁目交差点付近。
地図の中央上から右下に伸びる斜めの道が菊坂。

たてもの応援団では、居住者及び所有者のご好意により、平成9年5月17日にこの建物の実測調査を行い、平成9
年12月26日と同10年4月4日に大河直躬千葉大学名誉教授による復元調査を実施いたしました。たてもの応援団の
自主調査として「旧本郷真砂町足軽長屋調査報告書」を刊行しています。


調査参加者=伊郷吉信・市毛秀人・仰木ひろみ・遠藤裕子・大嶋信道・大平茂男・大平秀和・勝見章・角野茂勝・
川口明代・志村直愛・十川百合子・多児貞子・戸張公之助・中山啓子・松塚昇・三堀久子・森まゆみ・山崎範子

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