春日通りと白山通りが交差する春日交差点の東北側一帯約20,000坪(本郷3丁目に向かう
真砂坂の左手)は、幕末の頃、高崎藩主松平右京亮の中屋敷だったところ。この敷地の南端 には昭和40年代まで足軽長屋と通称される建物が見事に軒を連ねていました。それが、少し ずつ姿を消して、平成14年秋現在、この写真の建物のみとなった。
この建物の所有者の父上は、本郷元町に住んでいましたが、関東大震災でも建物が残った
のは、よほど地盤がいいのだろうと、ここを購入したとのことでした。
関東大震災、戦災を免れて幕末の建物が残っているのは大都会の奇跡といえましょう。
<残念ながら2005年5月に解体されました。>
<調査報告書が刊行されましたが、売り切れ、絶版です>
◆よく似た下級武士の長屋は、長野県須坂市にもある。
年12月26日と同10年4月4日に大河直躬千葉大学名誉教授による復元調査を実施いたしました。たてもの応援団の 自主調査として「旧本郷真砂町足軽長屋調査報告書」を刊行しています。
|