元国鉄総裁で新幹線の生みの親・十河信二の自邸で、昭和12年に建てられた。棟札には
設計者の名前は無く、ご遺族のお話では、十河信二はあまり建築には関心がなく、夫人に任 せていた、とのことでした。
戦後の一時期進駐軍に接収され、返還後は国鉄の保養所「本郷閣」として利用されたが、
保養所が閉鎖された後、解体された。
解体される直前に国鉄清算事業団のご好意で、マントルピースやステンドグラス、階段の親
柱などをボランティアの手でとりはずし、現在は、特養老人ホーム「千駄木の郷」のラウンジに 再利用されています。
旧十河信二邸外観 庭から二階を望む
玄関の間のステンドグラスの入った建具
旧十河信二邸のあった場所は、内科学の権威青山胤通邸跡で、斜め前は病理学者福士政
一、勝成邸、西側には小児科の瀬川邸(旧古市邸)、その前の東急アルスの場所は、外科学 の塩田正重邸のあったところ。かつてはお医者様通り、あるいは出世通りとも通称された。
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