旧安田楠雄邸とは
<財団法人日本ナショナルトラスト保護資産・東京都指定名勝>
文京区千駄木5-20-18(千代田線千駄木駅下車徒歩6分、本郷保健サービスセンター隣)



安田邸二階書院より<2006.12.9>

文京区千駄木のお屋敷町にある旧安田楠雄邸は、大正8年に建てられた近代和風住宅です。
普請道楽といわれた実業家藤田好三郎氏(遊園地豊島園の創設者)が建てた家です。
 関東大震災で日本橋小網町の家を焼かれた安田家が譲り受け、以来、長く住み続けてきま
した。安田財閥の創始者安田善次郎の孫にあたる安田楠雄氏が亡くなられたあと、この土地
と建物を相続された幸子未亡人と長女美佐子さんが、愛着のある建物を文化財として保存活
用するために、平成8年8月、財団法人日本ナショナルトラストに寄贈されました。
 たてもの応援団は、安田邸の調査やお掃除ボランティアを行い、幸子未亡人をサポートする
形で、日本ナショナルトラストへの橋渡しをいたしました。
  また、平成16年末には、安田幸子さんの心意気に感動された篤志家方からの高額寄付6000
万円をナショナルトラストに仲介いたしました。
 その後、建物は3年間をかけて修復し、2007年春から週2回公開されています。
庭園の修復は未着手ですが、ボランティアの手によりきれいに清掃されています。
 平成20年1月からは、NPO法人に認証されたたてもの応援団が管理運営を受託しています。

       <調査報告書「安田邸が残った!」は、完売、絶版になりました。>

 以下の写真は修復前のたてもの応援団の活動で、現在もお掃除やお道具のデータベース化
作業を行っています。

 
       長い廊下の北側窓を念入りに掃除  応接間の家具調度は藤田邸時代からのもの


安田邸の実測調査を行った日の記念写真。みんな若かった!
この日、長く安田邸にかかわりたいという想いで会の発足を決めた。
<1996年4月8日>

 現在は、修復工事の着手を待っている状況ですが、
季節ごとの伝統行事を楽しみながら建物に風を入れていくことになるでしょう。

 
                内玄関とさざんか          内玄関の内側


長い長い廊下<畳の上を客人が、板敷を家人が歩いた


庭から見た応接間とサンルーム

 
 残月の間の廊下と庭                   安田善次郎翁の写真がかけられている茶の間。

  
     2階からの眺め           書院から次の間を見る      2階大広間の床の間
<玄関から奥へ建物が雁行しているのが分かる>


                          2階書院
                                   このページの写真は市毛秀人さん


安田邸の調査
◆安田邸の最初の調査は平成8年4月8日にボランティアによる自主調査として行われ、コピーによる簡易な報告書
としてまとめられ、約1ヵ月後安田さんに内容の報告を行いました。こののち、お掃除会や見学会、保存への提案な
どを行い、最初の調査から5ヶ月後には日本ナショナルトラストへの寄贈、保存が実現いたしました。
  調査参加者=伊郷吉信・市毛秀人・遠藤裕子・大平茂男・仰木ひろみ・大平秀和・角野茂勝・金田正夫・川口明代
          佐故潤之輔・椎原晶子・十川百合子・多児貞子・手嶋尚人・戸張公之助・松塚 昇・三堀久子・
          山崎範子
◆第2次調査は、たてもの応援団メンバーにより、平成9年6月24日におこなわれた。邸宅の寄贈に伴い安田さんの
住居を新築するため、門内北側にあった「供待」の調査を行い、その後、解体された。
  調査参加者=伊郷吉信・遠藤裕子・仰木ひろみ・大平茂男・大平秀和・多児貞子・松塚 昇
◆第3次調査は、たてもの応援団メンバーにより、安田邸の西側2階建て住居棟部分の売却に伴い、解体前に調査
を行った。
  調査参加者=伊郷吉信・岩本毅幸・市毛秀人・薄井温子・遠藤裕子・仰木ひろみ・大久保明文・大平茂男・
          大平秀和・加藤雅大・上津原啓輔・亀山恒夫・川口明代・黒澤文勝・手嶋尚人・戸張公之助・
          内藤紀子・藤井禎夫・松塚 昇・三堀久子


トップへ
トップへ
戻る
戻る